8歳でバルセロナへ渡り、14歳で帰国を余儀なくされた。理由は自分のミスではなく、クラブがFIFAの規定に違反していたからだ。久保建英は「いまだ理解できない」と言った。それでも、彼はスペインでプレーし続けることを選んだ。
8歳でバルセロナへ
2001年6月4日、川崎市生まれ。久保建英は幼いころからサッカーを始め、2011年、8歳のときにFCバルセロナの下部組織「ラ・マシア」の入団テストに合格した。日本人選手として初めての快挙だった。
ラ・マシアでの数年間、彼はバルセロナの育成スタイルの中でプレーし続けた。しかし2015年、事態が変わる。
14歳、自分のせいではない理由で
FCバルセロナは2014-15シーズン、FIFAから制裁を受けた。理由は「18歳未満の外国人選手の国際移籍に関する規定違反」。バルセロナが複数の未成年選手を規定に違反して獲得・登録していたことが問題とされた。
久保もこの影響を受け、公式戦への出場が認められない状態が続いた。選手本人には何の落ち度もなかった。
2022年、当時の気持ちをGoal.comのインタビューでこう語っている。
「サッカーが好きなだけなのに、18歳未満では他国でのプレーは許されない。今も理解できない」
久保建英(Goal.com 日本、2022年9月)
帰国後、FC東京のアカデミーへ。2017年、15歳(高校1年相当)でFC東京のトップチームでプロデビューを果たした。
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18歳、レアル・マドリードへ。そして4クラブのレンタル
2019年6月、18歳になった久保は今度はレアル・マドリードへ完全移籍した。しかしレアルでの出場機会は限られ、シーズンごとにレンタルでクラブを渡り歩くことになった。
📋 久保建英 移籍・レンタル経歴
🔵 2019年6月 レアル・マドリード(完全移籍 / 18歳)
↳ 2019-20 マジョルカ(スペイン1部 / 1st レンタル)
↳ 2020-21前半 ビジャレアル(スペイン1部 / 2nd レンタル)
↳ 2021年1月 ヘタフェ(スペイン1部 / 3rd レンタル)
↳ 2021-22 マジョルカ(2度目 / 4th レンタル)
🟢 2022年7月 レアル・ソシエダ(完全移籍 / 移籍金650万€)
クラブが変わるたびに、戦術も、監督も、チームメイトも変わる。毎シーズン、ゼロから始める生活だった。フットボールチャンネルの取材では、レンタル時代を「役に立った」と振り返っているが、当時は容易ではなかっただろう。
2022年夏、レアル・ソシエダへ——「居場所」を自分で作った
2022年7月、久保はレアル・マドリードを離れ、レアル・ソシエダへ完全移籍した。移籍金は650万ユーロ。レンタルではなく、完全移籍——つまり、ソシエダが久保を「長期的に必要な選手」と判断したことを意味していた。
ソシエダでの久保は変わった。監督との信頼関係を築き、チームの攻撃の中心として試合に出続けた。日本代表でも主力として定着し、カタールW杯・欧州予選と出場を重ねた。
💡 この物語から見えること
自分でコントロールできないことがある — バルセロナを去った理由は、久保自身のミスではなかった。スポーツには、本人の力ではどうにもならない出来事がある。それでも、次の場所でどうプレーするかは自分で決められる。
「渡り歩く」ことが力になる — 4年間で4クラブのレンタルは、苦労の連続だったはずだ。しかし「役に立った」という言葉が示すように、環境が変わるたびに何かを吸収してきた。
「居場所」は与えられるものではない — ソシエダで久保が定着できたのは、移籍したからではなく、そこで信頼を積み上げたからだ。
💬 親子で話したい問い
・「自分のせいじゃないのに、やめなければならなくなったとき、どうする?」
・「毎年チームが変わる生活って、どんな感じだと思う?」
・「久保選手がレンタルを『役に立った』と言えるのは、なぜだと思う?」
・「4回目のチーム移動でも前向きでいられると思う?あなたならどうする?」
📎 参考・出典
Goal.com 日本「サッカーが好きなだけなのに、今も理解できない」(2022年9月)
フットボールチャンネル「まるで別世界」レンタル生活「役に立った」
久保建英 – Wikipedia(移籍歴)
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本記事は公開情報をもとに SportsPulse 編集部が構成しました。
執筆: SportsPulse 編集部
