ドラフト外から始まった話
2018年、渡邊雄太はNBAドラフトで指名されなかった。ジョージ・ワシントン大学を卒業し、NBAを目指した日本人選手に、30チームは声をかけなかった。それでもメンフィス・グリズリーズがツーウェイ契約(NBAとGリーグを行き来する形)で声をかけた。こうしてNBAへの入り口が開かれた。
ツーウェイ契約の選手がNBAに残れる保証はない。ロスターの空き、チームの状況、怪我人の有無——そのすべてが揃ったときに初めてコートに立てる。渡邊はその条件のなかで、2シーズンをグリズリーズで過ごした。
ウェーバーとは何か
📖 ウェーバー(waiver wire)とは
NBA各チームは必要に応じて選手を「放棄(waive)」できる。放棄された選手は「ウェーバー」と呼ばれる期間(通常48時間)、他のチームが獲得申請できる状態になる。申請がなければフリーエージェントとして自由に交渉できる。NBAに残るには、常にどこかのチームに選ばれ続けることが必要だ。
渡邊は6シーズンで5つのチームを渡り歩いた。毎年、シーズン開幕前後に「この試合は出ないよ」とコーチに告げられることもあった。試合前5分のミーティングで、突然そう言われる。それが現実だったと、帰国後のインタビューで本人は語っている。
ラプターズでつかんだ手応え
2020年、トロント・ラプターズに移籍した。このシーズンが、渡邊のNBAキャリアのなかで最も安定した時期だったとされる。ディフェンスの強度と献身的なプレーが評価され、出場機会が増えた。長い3ポイントシュートを決める場面も増え、「NBA選手・渡邊雄太」の存在が日本でも広く認知されるようになった時期だ。
それでも、安泰ではなかった。NBAでツーウェイ以外の標準契約を結んでも、毎シーズン続きがある保証はない。ラプターズの後はネッツへ、そしてサンズへ、最後は古巣グリズリーズへと移った。
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「まともな精神状態でプレーできていた時はなかった」
2024年4月、渡邊はBリーグ(千葉ジェッツ)への移籍を発表した。帰国の理由について、入団会見でこう語っている。「メンタル的な問題がアメリカにあって」「まともな精神状態でプレーできていた時はなかった」と。
この言葉は、美談ではない。試合に出られるかどうかわからない状態で、毎日練習し、準備し、また待つ。それを6年間続けた選手の、正直な言葉だ。
一方で、渡邊は「自分の夢に向かって突っ走れた」とも語っている。矛盾しているように聞こえるかもしれないが、両方が本当なのだと思う。苦しかった。それでも走り続けた。その二つは、同時に成立する。
6シーズン213試合——数字が語ること
📊 渡邊雄太 NBA通算(2018-2024)
出場チーム グリズリーズ → ラプターズ → ネッツ → サンズ → グリズリーズ
通算出場 213試合
平均出場時間 13.3分
平均得点 4.2点
日本人最長 6シーズン連続NBA在籍
出典:NBA Rakuten 選手データ
NBAを取材し続けた現地記者は、Number Webのインタビューで「6年もサバイブしたのは勲章」と言葉を絞り出した。それはスタッツの話ではなく、毎シーズン不確かな状況のなかでコートに立ち続けたことへの敬意だ。
💡 この話から見えること
「頑張れば報われる」ではなく「居続けた人だけが残れた」 — ドラフト外、ウェーバーで何度も放棄、試合前5分に告げられる不出場。それでもコートに立ち続けた213試合という数字は、そういう6年間の重さを持っている。
苦しかったことと、走り続けたことは同時に本当 — 「まともな精神状態でプレーできていた時はなかった」と「夢に向かって突っ走れた」は矛盾しない。その両方を抱えながら続けることが、プロの現実だ。
親子で話したいこと
💬 話してみるきっかけに
・ ドラフトで選ばれなかったのに、なぜNBAに残れたと思う?
・ 試合前5分に「今日は出ない」と言われたら、どんな気持ちになる?
・ 「苦しかった」と「走り続けた」は同時に本当になれると思う?
・ 渡邊選手にとって「夢に向かう」とはどういうことだったんだろう?
📎 参考・出典
NBA Rakuten 渡邊雄太 選手データ(nba.rakuten.co.jp)
Number Web「6年もサバイブしたのは勲章」(2024年4月)
千葉ジェッツ 入団会見・B.LEAGUE公式(bleague.jp)
GOETHE「渡邊雄太、NBA卒業を八村塁に打ち明ける」(2024年4月)
本記事は公開情報をもとに SportsPulse 編集部が構成しました。
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執筆: SportsPulse 編集部
